いけだ鍼灸整骨院院長
池田 憲章(いけだ けんしょう)
- 芝浦工大高校 卒業
- 東京リゾート&スポーツ専門学校 卒業
- 日本医学柔整鍼灸専門学校 柔道整復学科 卒業
- 日本医学柔整鍼灸専門学校 鍼灸学科 卒業
知らず知らずのうちに肘を痛めていた小学校時代
小学校2年生から野球を始め、どんどんとその魅力にはまりました。
練習はたくさんやった方が良い!早く上手になる為!とガムシャラに野球を続けた結果、小学校4年生位から肘の内側が痛み、肘を完全に曲げられない・伸ばせないという症状に加え、痛みで字が書けないという状態に陥りました。
当時通っていた整形外科にて『野球肘』という診断を受けましたが、野球をやっている人は全員がこうなるものだと思っていた為、痛みを我慢しながらも以前と変わらずに練習に励みました。
肘と腰の怪我に苦しんだ中学時代
中学では地元のシニアリーグに所属し、中学1年と3年の時には全国大会に出場し、本気でプロを目指そうと思うようになったのはその頃からでした。
しかし中学2年生の時には成長期においてフォームの異常や投げ過ぎによる剥離骨折である『離断性骨軟骨炎』を発症。
中学3年生の時には同じく成長期に腰を過度に曲げ伸ばしを繰り返して負担をかけてしまい腰の背骨の疲労骨折である『腰椎分離症』を発症し、常に整形外科や接骨院で治療を受けていました。
怪我の結果、野球を諦めた高校時代
高校進学し、野球をするうえで体格が恵まれてはいなかったのでやはり練習しかないと思い、24時間野球がうまくなる事を考えひたすら練習していました。
しかし、高校1年生の時には投げる度に肘が痛み、小指の痺れが酷くなり握力が右手61Kgから30Kg以下まで落ちてしまいました。この時の診断名は『肘部管症候群』です。
なんとか克服して野球を続けたかった私は手術を受けることにしました。
手術後は痺れが取れ一見良くなったかのように思いましたが、痺れはおさまったが痛みは取れず整形外科で再検査を続けた結果、左の内側側副靭帯に比べ右が明らかに緩くなっていた事が原因ではないかと、プロ野球選手では桑田真澄さんやダルビッシュ有さん等で有名な『再腱術』を進められました。
ただ、手術後の復帰の時期が最後の大会に間に合わないと医師に告げられた事で未熟だった私は、これからの野球人生を受け入れられずにそのまま野球の道を挫折しました。
毎日毎日野球漬け、休日も野球でいっぱいだった日常が急に無くなってしまいぽっかりと穴があいたような日々を過ごしていました。
怪我や痛みに苦しむ患者さまのために治療家の道へ
しかしそんな日々を過ごすうち、自分の出来る事は何なのかと見つめなおすうち『度重なるケガにより大好きな野球を諦めたという挫折をバネに、ケガや痛みにアプローチできる治療者になりたい』と思うようになりました。
そこからは、スポーツトレーナーの資格取得し、柔道整復師・鍼師・灸師の国家資格も取得しました。並行して現場での修行も始まりました。
子どもの頃一生懸命大好きな野球の練習に励んだ事は後悔していませんが、練習は量よりも質が大事であるという事を身を持って実感しました。
その思いを治療を通じてみなさんに伝えていけたらと思います。
そしてすでにケガをしてしまった人、スポーツ外傷以外にも体の痛み・辛さに苦しんでいる患者さんのQOL(Quality of Life(クオリティ・オブ・ライフ)生活の質)の向上を目指して、地元・大宮の皆さんのお力になれるよう、寄り添って努力していこうと思います。
スポーツ歴 傷病歴
スポーツ歴
野球 / サーフィン
傷病歴
野球
上腕骨内側上顆炎 / 離断性骨軟骨炎 / 腰椎分離症 / 足関節捻挫 / 肘部管症候群
サーフィン
頸椎捻挫 / 腱交叉症候群
など